気づいた*
特定の場所で話せなくなるという自分の症状に名前があったのだと気づいたのは
大学生になってからだ。
ふらっと寄ったコンビニで雑誌を立ち読みしていると、「箱庭特集」の記事が目に入った。
箱庭??これ子供の頃やったことがある。なぜ?
箱庭の中に自由にミニチュアの動物や植物を配置していく箱庭療法は、
精神障害者へのセラピーとして利用されていると書いてあった。
小学生の頃、毎週水曜日は学校を早退してある施設へ連れていかれ、
壁一面の棚にびっしりとおもちゃやボードゲームが置かれている部屋で
一時間ほど施設の人と二人きりで過ごす。
なぜそんなことをしているのかあまり疑問にも思わなかったし、
一種の習い事のようなものなのかな?と思っていた。
今思えば、そこは何らかの問題を抱える子供のための療育施設だったのだと思う。
初めて見るたくさんのおもちゃは魅力的だったが、居心地がいいわけではなく、
遊びたいおもちゃの名前を言うまで触らせてもらえなかったり、
いろいろ質問されるが答えられず沈黙。。。という苦痛な時間でもあった。
毎回最後の20分ほどは箱庭で遊ぶように指示された。
一面にきれいな砂が敷き詰められた箱の中に、水に見立てたビーズを入れて池にしたり、家や動物を配置する。なぜだか人間のミニチュアは登場させないように細心の注意を払っていたことを覚えている。
そんな記憶がいっきに蘇り、帰ってから箱庭療法についていろいろ調べていくと、
自分の幼少期にあった家以外の場所で話せないという状態には「場面緘黙症」という名前があることを知った。
大学生だった当時は、まだインターネット上に場面緘黙症についての情報はとても少なかった。
それでも、自分と同じような人がたくさんいたのだということを初めて知り、とても驚いたことを覚えている。